揺らぐ監査ー泣く監査法人と企業、高笑いの金融庁
2024.03.08 カテゴリ: 会計・税務、会計不正、会計監査。
目次
1.日本経済新聞の連載「揺らぐ監査」
最近、公認会計士の受験者が最低だった時期の2倍になったと新聞で取り上げられていました。公認会計士という職業、社会として必要であるとは私は思いますし、志願者が増えるのは望ましいと思います。しかし、その一方で監査法人に勤める会計士の数が減っているということも日本経済新聞で載っていました。
「揺らぐ監査」というこの日本経済新聞の連載では監査法人の不人気の原因は形式的でつまらない作業、かつ残業も多いこと、しかも最近の残業規制でそのしわ寄せが中間管理職に集中しているという監査法人側の問題点が取り上げられていました。
その一方で日本企業の意識の低さ、法定監査は上場企業としての責務である財務諸表の保証業務であるという意識はなく、単なるコストだと思っていること、そのために監査報酬が諸外国に比べて低いということがあげられていました。
それらの対応として、大手監査法人などは、AI導入で比較的単純な作業は行い、監査人は高度な判断的業務に集中することにより改善を図るなどとコメントが記載されていました。これで本当に解決するのでしょうか?
私は法定監査はやっておらず、コンサルタントとして企業側から会計監査を見る立場なので、所詮監査を外側からしか見ていませんし、企業寄りかもしれませんがその点はご容赦ください。
2.公認会計士法の改正と監基報600の改訂
2022年4月に公認会計士法が改正され、上場会社監査を行う監査法人に対する登録制度ができ、合わせて金融庁傘下の公認会計士・監査審査会(以後金融庁)の検査権限の拡大が行われました。金融庁は、太陽監査法人やPwC京都監査法人など5つの準大手監査法人への検査を強化します。これまで3年に1回だった立ち入り検査を2年に1回にするといった検査強化が図られました。少し、バイアスがかかった視点かもしれませんが、不祥事があればあるほど金融庁は焼け太り、役所の監査法人に対する締め付けがますます厳しくなってきたといえます。
また昨年監基報(監査基準委員会報告)600「グループ監査における特別な考慮」が改正されました。この監基報とは監査を行うにあたっての方針の基準となるものといえます。すこし、乱暴な言い方をすると今まではある企業グループの監査において、そのグループ本体の監査人は重要な子会社だけある程度見ておけば、その他の小さなグループ会社の監査はその会社の監査人に任せておけばよかったといえます。
今回の改正できちんとすべての子会社、特に海外子会社などは本体の監査人が責任をもって子会社担当の監査人がきちんとした監査をやっているか監督しなさいということです。 ここで強調されているのは”Aggregation”という概念で、要するに小さな数字のミスでも積み重なれば大きな数字になるから子会社も細かく見なさいということです。 特にこの考え方自体はまともで違和感はないのですが、これに対して監査の実際の現場の受け止め方としてはどうなるのでしょうか? また、様々な規制強化でクライアント会社側は本当に監査の品質の向上にありがたみを感じているのでしょうか。
3.クライアント会社側はどのように感じているか
被監査会社であるクライアント側から見ると、資料の要求は近年どんどん細かく量も増えてはいますが、それで本当に監査の品質を高めていると感じているのでしょうか。クライアントからすると監査法人の担当者は単に金融庁に目をつけられていないように大量の書類を要求・整理するとともに、法人内で第三者的に監査の品質管理を行う品質管理部向けの内説明資料の作成に時間やたら使っているのではないかと感じているようです。また、監査手続き、本来はどう考えても重要性もリスクもなさそうな部分もやたらと資料を要求するものの、クライアントになぜその手続きが必要なのかきちんと答えられないケースが多いです。
挙句のはてに監査担当者から「品質管理部門の審査に通すために必要です」「金融庁の検査で指摘される恐れがあるので」などといわれると横で見ている身としてはかなりがっかりします。資本市場の番人としての理念からではなく単なる自己の保身のわけですから価値をクライアント側としても見いだせないでしょう。
また、代表社員も含めた監査チームといったん合意した会計処理も「品質管理からNGが出ました」の一言で後になって簡単にひっくり返されることもあり、クライアント会社の人からみると、「お前は単なる御用聞きか!」という感じで監査という仕事に価値を感じられない出来事は多いです。
ほとんど監査人は来社しても会議室にこもりっきりでぱちぱちPCにひたすら打ち込んでいるように見えます。これは古い監査人のたわごとかもしれませんが、結構現場に赴き現場担当者の発言から不正や誤りの端緒を見つけたことなどはかつてあったのですがそういった活動は逆に大幅に減っている気がします。ミスはたくさん発見できるかもしれませんが、組織的に巧妙に仕組んだ粉飾などはかえって見つけにくいのではとも古い監査人としては思います。
4.気の毒な監査法人
一方で監査法人側が気の毒だと思うことともあります。金融庁が出している監査法人の品質レビューを見ると「・・・に対する検討が十分ではなかった」という記載が多いです。そもそも監査は「悪魔の証明」いわゆるXXがないことを証明するというお仕事です。「十分なことを立証する」のはすごく大変で何をもって十分か、十分であることを立証するのは膨大な作業が必要です。一方「十分でないこと」を立証するのは一つでも何か欠けていれば指摘できるわけですから比較的簡単です。
そして、検査は所詮「後だしじゃんけん」です。例えばいわゆる会計上の見積り、会社側はできるだけ正確であることを立証するために様々な資料を作成しますし、監査法人側もそれが正しいのか監査を慎重に行います。しかし、当然その当時は予想しなかった事象が起きて結果は違った数字となること良くあります。こういった想定外な事象に対し、想定が甘く検討が十分でなかったと後の検査で指摘することは容易です。「後だしじゃんけん」に備えないといけないので、膨大な資料と作業が必要になるわけです。
子会社の監査なども十分に子会社の監査人の行う監査について評価しなさいというポイントはその通りだと思いますが、一方運用として「十分に評価したこと」をグループ本体の監査人が立証するためには膨大な作業が発生することは想像がつきます。結局企業グループ本体もその子会社に対するマイクロコントロールが要求され、グループ監査人もそれを細かく追っていくこと不毛で膨大な作業になるでしょう。
一方、AIがある程度こういった膨大な業務を効率化してくれるとは思うのですが、「AIの業務の妥当性の検証」をどうするのでしょうか?「AIに業務を任せきりでその内容について十分な検討がなされていない」などという検査結果がX年後に出てきそうです。結局「AIの業務の妥当性の検証」というディストピアが浮かんできます。
法定監査について第三者の評価の目が入るのは品質を担保するうえで必要だとは思いますし、監査の品質確保で一定の役割は果たしたと思います。監査の品質確保を否定する意図は全くありません。ただ、それを役所が主導すると超リスク回避型の「形式主義やコストベネフィットをほとんど無視した細かさ」という弊害がその反面出てきている気がします。仕事がどんどんお役所仕事になってくるので、生きのいい若手ほど疲弊してしまうそんなことが起こっている気がします。
一方、元気な上場しようとするベンチャーなどはほとんどガチガチの管理で魂を抜かれこじんまりとしたお行儀のよい会社ばかりが続出するような事態になっている気もします。
クライアント企業も監査法人も疲弊し、金融庁だけがどんどん焼け太りをして権限を拡大していくこの構図どうなのでしょうか?