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多様性(ダイバーシティ)はなぜ必要か?

2017.09.20 カテゴリ: ダイバーシティ経営企業経営での留意点

多様性(ダイバーシティ)と言ってもここでは様々な国籍の人々と働く話です。

私の会社(ハンズオン・CFO・パートナーズ)のお客様は外資系企業が多いのですが、たまに日本の多国籍大企業のお仕事をいただくこともあります。あまりサンプルは多くないのですが、日本の多国籍大企業でも生き生きと働かれている女性の管理職の方も結構見られて少しずつ女性の進出は感じます。しかし、多国籍企業の本社なので外国人もそこそこいるだろうと思っていたのですがほぼ皆無だったの非常に不思議な感じを覚えました。例えば私が以前米国で働いていた部門は直属の上司の副社長はイギリス、同僚はチェコ、ハンガリー、香港で、私の部下がアメリカ人とフランス人でした。多少この部門が海外統括(米国から見た海外)という面はありますが、本社機構では3分の1くらいは非米国人でした。

さて、このような多国籍な環境で働くとエキサイティングで素晴らしいと思う方は少なからずいらっしゃると思います。エキサイティングな面は確かにありますが、快適かと言うと決してそうではありません。きちんとした教育を受けているプロフェッショナルな人々ですから明らかに無礼な態度などは取ることはありませんが、典型的な日本人である私から見ると和を乱す勝手な人々が多く面倒です。会議のファシリテーションなどをすると突飛な意見が飛び交って発散するのは良いのですが収束するのが非常に大変です。日本人だとこんな会議の流れを乱すような発言は遠慮するのですが、かれらは遠慮することなく勝手な発言をします。ただし、物事を決めるとき非常に快適な環境でスムースにまとまるのが素晴らしいのでしょうか?多様性(ダイバーシティ)の良さの一つは快適さに欠け、物事が叩かれながらまとまっていくプロセスなのではないかと思います。物事が色々な方面からたたかれるので、大胆な発想や面白い発想が生まれ、金太郎あめ的なものを排除することができるのだと思います。

多様性(ダイバーシティ)の中で外国人を一緒に働く仲間として受け入れるというのはこのような面倒さをどれだけ許容できるかにかかっているかと思います。当然日本で働く以上日本人社会で求めらる他人への配慮などはある程度必要だとは思いますが同調を強要してはいけないと思います。昔アメリカ社会はメルティングポットと呼ばれていました。要するに色々な具材(人種、国籍)がまじりあうのですが同化して一つの味になってしまうという比喩です。しかし多様性(ダイバーシティ)はサラダボウル、要するにいろいろいな具材(人種、国籍)はまじりあっているのですがそれぞれ具材は個性を発揮しているわけです。このような方向性を企業の中で取り入れていけるかに多様性(ダイバーシティ)の導入はかかっているのだと思われます。

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